「この写真がすごい2008」

Date
2008-08-10 (日)
Category
diary
Tags
,

「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」さんの「この写真がすごい2008」というエントリを読んで、この本を買ってみました。

著者である大竹昭子さんがこの一年で目にした写真の中から、「こらすげぇ」とおもった写真を100枚ピックアップして、写真をみたときの直感的なコメントをさらっと記してある本です。

どの写真がどうすごいかは、写真をみた人の主観(好みともいうか)なのでそれはおいといて。

あとがきにあったこんな一文に、ちょっと心惹かれましたので引用します。

自分も撮る人になるがゆえに、撮った人の気持ちを想像し、撮られた対象を理解したいと思う。おなじテーブルにつけることが、写真とわたしたちを深く結び付けているのである。

写真は知らない現実について教え、感覚を拓き、人や物の関係を変え、記憶をよみがえらせる。意識を揺さぶりながら、同時に潜在意識に働きかけて眠っている能力を掘り起こす。どうしてそれが可能なのか。写真が現実の一部をはぎとってくるものだからである。頭の中で考えたものがそのまま写るカメラは未だ存在しない。現実に対して開かれた窓、それがカメラのファインダーなのであり、その窓を共有することで見えたものを語り、論じ合い、感覚をシェアできる。毎日会っている同僚のなかに新たな発見をするようなことが、写真とのあいだに起こりうるのだ。

なんもね、むずかしいことじゃなくってだね、写真をみて、「へぇ」とおもったり「うわー」とおもったりすることだけでもぜんぜんいいとおもうの。んで、どうしてこの写真がいいとおもったのかを考えたら、もっといいとおもう。

前にもちょっと書いたことがあったけど、写真にはいろんな思いがあるとおもうですよ。

撮った人の思い、撮られたもの(人)に対する思い、その背景となった思い。これはむずかしいことじゃないとおもう。はしゃぐ子どもがかわいいとおもったり、散歩中の犬がうれしそうだなとおもったり、目の前にあるたべものがおいしそうだなぁとおもったり、空がきれいだなぁとおもったり。

そのとき一緒にいた人や、天気がよかったとか悪かったとか、暑かった寒かった、実はむかつきながら歩いてた、気分転換にぶらぶらしてたんだっけとか、なんかあるわけでね。

そういうことをカメラを持ってることだし、写真として残しておこうかなっておもうきもち。なーんもむずかしくない。それがたまたま誰かの心に響いて、「おっ」ておもってもらえたり、逆の立場になると「この写真ステキ」とおもったりする。

で、よく考えてみるとそれらはもう二度と戻ってこない瞬間であって、それってなんかすごくね?ともおもうのです、私などは。だって残ってんじゃん。そこにあるじゃん。写真にそのすべてを描ききるのはむずかしいけれど、断片的にでもそういうのを感じられる。ほかの人の写真をみて、自分がたとえその場にいなくても、共感というか「あーこうだったのかな」っておもえたりできるんだよ。想像できる。これってすごくないかい?

とかとか、この本を読みながらそんなふうにおもいましたの日曜の昼下がり。北の大地ではオモロなイベントが繰り広げられていますが、私はひきこもりです。購入したり、いただいたりした本が何冊かあるので、それらを読みつつ涼しくなるのを待って夕飯の買い物にでも出かけようかなとおもっとります。今日の写真ネタ、どないしよ(笑)

この写真がすごい2008
この写真がすごい2008
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